そして

2004年11月3日
見てしまった。

色々な疑問が浮かぶ。

せめて苦しくない最期なら、それがせめてもの救いなのだと自分勝手に思うが、実際はどうだったのだろう。
もっとはっきりした映像を探し出して見る気持ちは起きない。

あの場所で、あなたは何を考えたのだろう。
自分の行動を後悔しただろうか。

私があなたの立場ならどうしただろう。
もうきっと思考することを放棄してしまうかもしれない。
そうでないと、確実に迫り来る死に対して恐ろしくて堪らなくなるはずだ。

それとも、希望を持っていただろうか。
どこかに、助かる道があるはずだと望みを捨てないだろうか。


あなたは何がしたかったの?
そこへ何をしに行ったの?

ただ、なんとなくなの?
今まで起こった惨事の部分的場面しか知らなくて、
それを全てだと思って起こした行動なの?


本当の事は全く分からない。
行動の仕方が、突発的なことに加え、どこか抜けていたのか、自分ならいけると思ったのか、有識者にはあまりにも考えなしに映っているようで、
あなたが私が思っている様な人なら、私と少しだけ似たところがあるあなたを、かわいそうに思ってしまう。
仕方ないよね、と、思ってしまう。
でも、何か具体的な目的があって行ったのかもしれない。

本当はどうだったの。。。
誰がなんと言おうと、でも、彼自身にしか分からない。
自分がいちばん納得しているかもしれないし、いちばん後悔しているかもしれない。

もう元にはもどれないけど、
遺された家族が、苦しみから解放されて、世間の批難から解放されて、
彼らなりの心の平和を取り戻せる日が一日も早く訪れて欲しいと思う。



教育という名の洗脳、
これは大事なことなんだ。勿論正しい方法で。

教育制度が当たり前でない地域。
貧困またはそれに近い生活をする人々。
それがこの様な過激な思想を生み出す要因の一つと言えるという考えもある。

どんな苦しい環境に育ってきても、考え方を間違った方向へは向けないで欲しい。
どんな裕福な環境に育ってきても、そこで得た力で人々を間違った方向へ導く手助けをしないで欲しい。

生温い場所で、生温い生き方をしているかもしれない私には、
こんなことしか出てこない。

皆はどんな考え方をし、どんな理想を持っているのだろう。

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